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使い捨て気になりませんか?物を大切に使うことって何?

      2017/03/20

使い捨て気になりませんか?

皆さん生活の中で「あーもったいない!」って思うこと1日の中に何回くらい有りますか? 私は最近特に使い捨てが気になるようになりました。子育てをしていると自分の分だけだった消耗品が子供のものも追加されて、今までの3倍物を捨てるようになったからかもしれません。または、一度海外で生活をして、日本に帰ってくると海外で生活していたときのゴミの量が日本に帰ってきてからのほうが圧倒的に多いなと感じているからかもしれません。

海外と日本の消耗品と使い捨て文化の違い

実は、私は日本を出るまでアメリカやその他国の方が使い捨てが多いと思っていました。ゴミの分別も気にせず使ったものはそのまま捨ててしまう、消耗品も気にせず次々に捨てている、日本人はリサイクルをしているからゴミ自体は少ない、そう思っていました。

そう、最初に思っていたとおり、アメリカに住んでいたときはやっぱり消耗品の使い捨てがすごいと痛感しました。マクドナルドなどのファーストフードにはいると一回の買い物でこれでもか!というくらいの紙ナフキンをくれる(15枚くらいはあっただろうか?)これどうやったら使い切るのだろうか? と逆に思ってしまうほど。なので周りを観察してみると、大柄な男の人はハンバーグを食べ終わったらその紙を鷲掴みして口の周りを拭くとそのまま全部ゴミ箱へポイとすてていた。さすがアメリカ、豪快と思ったものです。でもそれを見て正直紙がもったいないな、って思いました。日本人なら1枚の紙を大事に使いますよね。また、スーパーのビニール袋がすぐに破れるペラペラなもの。なので定員さんも破れることを見越して、2重、3重にして渡してくれます。結果無駄遣いな気がしてしまいます。

最初のアメリカはそんな印象だったのですが、その中で生活をするうちに気がついたことがありました。それは日本ほど売っている物が多種多様でないということ。日本にあるような可愛い雑貨屋さんの数が少ない。確かにあったら便利だと思うものが日本には溢れていますが、アメリカではそういうものを売っている所が少ないのです。なぜ売っていないかというと、人が買わないからニーズがないのではないでしょうか。

確かに私のいたニューヨークは貧富の差が激しく、生活に必要なもの以外を買うお金がないということもあるかもしれません。もちろん全部の人がそうであるかというとそうではないと思います。というのもデパートに行けば可愛らしい小物も取り扱っています。
それに比べ日本人は珍しいものや話題のものをすぐに買う習慣が多いように思います。別に新しく買わずとも今持っているものでも代用出来るのですが、ついつい新しいものに目が行ってしまったり、ちょっとした便利を選択してしまったりします。

では、アメリカだけがそうなのでしょうか? 旦那の転勤でその後ヨーロッパに住むことになるのですが、やはりそこでも感じたのが、物を無駄に買いすぎない、流行を追っかけすぎていない。ということ。ヨーロッパはアメリカの無駄に紙を使用するということもなく、全体的に無駄が少ないと感じました。もちろんヨーロッパと言っても広いので全部が全部そうだというわけではないと思います。

どうして使い捨てが増える? 無駄が多い?

さて、では具体的に日本はそんなに消耗品を無駄にしているのでしょうか? 例えばボールペン。私もボールペン沢山持っています。最近では消えるボールペンを買ってしまったのですが、すでに持っているボールペンは山ほどあり、しかも企業セミナー参加したときにもらった景品や、子どもがイベントに参加した参加賞、自分で買ったものもたくさんあります。だから、ボールペン自体は追加で買う必要はなかったのです。本当であれば1人1本のボールペンを替芯の入れ替えをしながら大事に使えばいいわけですよね。でも、実際は芯を変えるタイプでなく使って出なくなったら終了というもの。しかもボールペン自体全部使い切れていないものがほどです。

替え芯によって長く使えるモンブランも持っていましたが、結局気軽に持てる100円のボールペンの方を頻繁に使い、数本あるモンブランはいつの間にか引き出しの奥にしまい込まれてしまっています。本来であればいいボールペンで替芯式のものの方が圧倒的にゴミの量は減りますよね。

洋服も同じ。東京のファッションレベルが高いと言われています。それを聞いた時、ファッションと言えばパリとかニューヨークの話では? と思いました。

でもその「東京のファッションレベルが高い」というのは、東京のデザイナーがすごいというより、東京にいる人みんながオシャレだということ。「えっ!?」と思うような服装の人に出会うこと自体が少ないのでしょうか? もちろん身綺麗であることは大事ですが、流行を追いかけて毎年新しい服を買い、1年着たら終わりというのは本当に必要なんでしょうか? もっと言うと、何着か買ったうちの数枚は似合わなかったり着にくかったりで実際にほとんど着ないものもあるのではないでしょうか?

ニューヨークはファッションの最先端で、みんながみんなおしゃれ! というイメージを持っていたのですが、実際のニューヨークは殆どの人が、ヨレヨレのTシャツに、裾を引きずったようズボン。薄汚れたチノパンなど、多少の破れは全く気にすることなく着ています。もちろんニューヨークは移民が多く、その人達は生活するのだけで精一杯でおしゃれに手が回らないのかもしれません。でも私が出会った一流企業に勤める人もヨレヨレのTシャツとズボンを着ていました。そう、日本人みたいにものをすぐに捨てないし、流行も追っていないのです。だから次から次へと新しい服を買っていないのです。

余談になりますが、ニューヨークの人が全くおしゃれではないというわけではないです。というのも、ニューヨークは夜の街がすごい! 昼間はヨレヨレだった人も、オシャレな格好に着替えて夜の街、クラブやミュージカルに出かけて行きます。その時だけ自分のおしゃれを楽しんでいるのですね。

日本のすぐ捨てる文化とその仕組み

日本に帰ってくると少しでも穴があいてしまったもの、シミがついているもの(服でも持ち物でも全て)はもう着れない、使えないという雰囲気があります。だからそうなるとすぐに捨てて次のものを購入してしまいます。

子供が小学校に上がり、この使い捨ての習慣はますます気になるようになりました。
まず、雑巾。子どもの通う学校では雑巾が1学期につき2枚、1年間で6枚使うのです。うちは子どもが2人なので、1年に12枚、卒業するまでになんと72枚消費することになります。子ども2人で72枚ってことは全校生徒でどれだけの枚数なのでしょうか?

また気になるのが教科書類。毎年毎年新しい教科書を購入します。
海外が全部が全部そうというわけではないのでしょうが、我が子どもが通っていたインターの小学校では学校に教科書が置きっぱなしでした。というより、教科書は生徒は1冊も購入しませんでした。というのも学校が購入した同じ教科書をみんなで共有して使っているのです。しかも、隣のクラスとも時間割がずれていて、同じ本を共通のところから持ってきて使うのです。だから今年使った教科書は、また来年次の学年の人も使います。

日本の教科書は毎年毎年内容が変わっていきます。確かに少しずつ変わっていくことは必要かもしれません。だから毎年購入する必要があると言われればそうなのかもしれません。でも、インターでみんなが共有して使用していた教科書は普遍的な物で、本当に基本の部分だけを教えてくれるのものでした。それに副教材として色々な動画を見たり、辞典を見たりなど、新しいことを教科書とは別のところで習得していました。

私が通ったコロンビア大学の英語教室は、教科書を購入する方法でしたが、そのシステムはしっかりしていました。本屋に行くとまず「新品を購入ですか? 中古を購入ですか? 」と聞かれます。私は新品を購入してしまいましたが、中古もかなり状態のいいものが売られていました。そしてさらに、もっと質の悪いものに関しては、その英語教室に通う人に対して事務の人が「教科書がなくてほしい方いますか? 」と聞いてきます。そして、その手を上げた何人かの人はその中古の本をボランティアと引き換えに手に入れていました。

いま日本の学校では教材費と言われるものを月にいくらか支払います。教科書の費用は国が負担してくれますが、それ以外のノートや工作の道具、算数の副教材などは自分たちで払います。その追加で使用する教材はどうしても購入しなければいけないもの、または購入しなければいけない仕組みになっているものだったりします。

もし、国が教科書を全員分購入するのをやめてその分の費用を副教材として月に集金される費用に当ててくれたら? 一部でもいいから修学旅行の費用に当ててくれたら? なんて考えてしまいます。一度買った教科書を毎年毎年その学年の人が使いまわしをしていけば、かなりのお金も資源も無駄にはならないのでは? と思ってしまいます。

物を捨てることはいいこと? 捨てられない人はだめな人?

脱捨離という言葉が数年前に流行りました。いらないものを捨てるということ。いらないものを捨ててシンプルにすることで身の回りも自分自身もスッキリしてものに埋もれがちな大事なものを見落とさないようにしよう。というもの。
でも実際脱捨離しても今あるものは捨てることができてその時はスッキリしたとしても、やはり付き合いの中で頂いたものは家の中に増えていってしまうのです。
また、お片付け術などと言って捨てられずものに執着している人がなんだか悪いような風潮で話をされたりする番組や雑誌も見受けられたりします。

確かに、脱捨離のように確かに物があふれる現代で、物に隠れて見えなくなっているものがあると思います。それを整理して見えるようにするということは理にかなっていると思います。でも物を捨てることっていいことですか? まだ使えるものを捨てるということは、資源を無駄にするということ。「身の回りのシンプルにすること=物をどんどん捨てていくこと」というそもそもその考え方自体を見直して見る必要があるのではないでしょうか?

じゃあ、捨てないでリサイクルすればいいと言うかもしれません。でも地域でやっている子供服のリサイクルに集まった服は山のようにありましたが、1つ50円、10円だとしてもそれを引き取る人はほとんどいなく、引き取り手のない服は山のままになっていました。
ある学校で「リサイクルフェスタをするのはいいけれど、売れ残ったものを廃棄する費用のほうが売上より高くつく」と言っていました。せめて学校側としてもトントンになるのであればリサイクルをしたいのだけれど…。というのが本音のようです。

私もなるべく捨てずにリフォームしたりしていました。破れた長ズボンは膝の破れたところより下は切って半ズボンにしたり、旦那の外に来ていけなくなったシャツは私の寝間着にしたり…。よごれのついたワンピースは上を切ってスカートに変えたりと色々しました。でも、そのリフォームが追いつかないくらい毎日着られなくなったり、使わなくなったりしたものが増えていっています。結局リフォームしても数回しか使わずに捨ててしまうことになったりしてしまいます。

考えてみると、全部が全部自分が必要なものだけを自分が購入できるかというかというと、そういうわけではないです。ちょっとしたキャンペーンで貰ったちり紙やボールペン、コップなど。また結婚式での引き出物に加えてお祝いをした人からのお返しの品。家族同士でやる誕生会のプレゼントなど。
また、旦那が必要だと思って買ったものも、私は必要ないと思ったり。そして子ども用品も同じで親が必要だと思って買ったものも実際は子どもにとっては必要ないものだったりもします。例えばお腹が冷えるから購入した腹巻きも子どもは使いたくなくて使わないかもしれないですしね。

このようにもともと使わないものに加えて、すべてのものを消耗品と考えている傾向もあります。だから、数年立つと買い換える、というのが当たり前になっています。たしかにいつかは壊れるのですが、その期間が短すぎるのです。例えば、傘が100均でも売られるようになって、100円なら壊れてもなくしてもいいかなと言う軽い気持ちで購入して少し壊れたら捨ててしまいます。そもそも100均の傘は修理しにくいし、修理に出したとしても新しく購入したほうが遥かに安くてきれいなものが手に入ります。わが家にも傘が山ほどあります。

また、自転車も消耗品と考えられている傾向がありますね。タイヤがパンクするとタイヤを交換するより本体ごと買い替えたほうが安かったりします。この前もタイヤがぼろぼろになった自転車を引きずっていたらママ友から「タイヤ変えるより買い替えたほうがいいよ〜。」といわれました。でも、フレーム自体はしっかりしていてまだ使えるのにもったいない! と思ってしまいます。確かにタイヤ交換で安い自転車1台変えたのかもしれませんが、今回はタイヤ交換だけにしました。新品にしたほうが気分も嬉しいかと思ったのですが、意外に今まで使っていた自転車を捨てずに新しいタイヤになったことでの満足感がありました。

使い捨て気になりませんか?物を大切に使うことって何?〜終わりに

まだ使えるけど、買い替えたほうがいい。また、自分が欲しいものでなくてももらった、そういったものが家の中には溢れていて、ではその中で使わないものは捨ててしまいましょう。とはやはり私は言いたくないのです。

そもそももって、そうやってものが溢れてしまう世の中の仕組み自体に視点を向けるべきだ、ということはみんなわかっていることではあります。でもではどうしたらいいのか? というのがわからないのです。ただちょっとした身の回りで出来ることからやるしか無いのですが、それも結局「雀の涙」でしかないのです。

一度自分が購入したり、手に入れたものはその人がそのものを最後まで大切に使うこと、大げさかもしれませんが、どんな小さなものでも、最後まできちんと使い切る責任を果たすということが必要なのではないでしょうか? 物を捨てられない人が悪いというより、「いらない物はどんどん捨てるもの」という心を持っているという人達がいる今の日本の現状自体がなにか違うのではないでしょうか?

まずは使い捨てしているものから順に、より長持ちするものを選んでいきたいですね。

とりあえず私はすぐに履き古すスリッパから変えてみようかなと思います。

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